使用者は、感染症の蔓延防止のため、労働者に対して、マスクの着用を義務付けることは許されるのでしょうか。
また、労働者が、このような指示に反して、マスクを着用しないことについて、懲戒処分をすることは許されるのでしょうか。
今回は、マスク着用拒否と懲戒処分について解説します。
使用者の安全配慮義務
安全配慮義務とは、労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務をいいます。
使用者は、当事者間の法律関係の付随義務として信義則上(民法1条2項)安全配慮義務を負っています。また、現在では、労働契約法5条がこれを明示的に規定しています。
安全配慮義務の具体的内容は、これが問題となる具体的状況等によって異なります。
感染症が蔓延しているような状況であれば、国や地方自治体から提供される情報を確認し、これを防止するための適切な措置を講じる必要があるでしょう。
例えば、厚生労働省による「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(令和2年3月28日[令和2年5月25日変更])によると、緊急事態宣言が解除された後について、「引き続き、政府及び都道府県は感染の状況等を継続的に監視するとともに、政府や地方公共団体、医療関係者、専門家、事業者を含む国民が相互に連携しながら、『三つの密』の回避や『人と人との距離の確保』『マスクの着用』『手洗いなどの手指衛生』をはじめとした基本的な感染対策の継続など、感染拡大を予防する『新しい生活様式』の定着や、業種ごとに策定される感染拡大予防ガイドライン等の実践が前提となる」とされています。
マスク着用命令の根拠
使用者は、業務遂行上の相当の必要性があれば、業務運営上必要な服務上の措置を業務命令により行うことができます(労働法[第12版]菅野和夫691頁)。そして、服務上の措置には、安全・衛生の維持のための措置(喫煙場所の指定、火器の制限・安全衛生規定の遵守など)も含まれます。
もっとも、服務上の措置が労働者の行動を制限する内容の場合には、就業規則との整合性や権利濫用の有無が問題となります。
<服務規律と企業秩序>
服務規律よりも広範な概念として、企業秩序があります。企業秩序とは、経営目的を遂行する組織体としての企業が必要とし実施する構成員に対する統制の全般をいい、服務規律をその一部に包含しています。従来は、服務規律運営の法的根拠につき、使用者の法律上の義務(とくに労働安全衛生法上のもの)などとするものもありました。しかし、最高裁判例は、使用者は企業の存立・運営に不可欠な企業秩序を定立し維持する当然の権限を有し、労働者は労働契約の締結によって当然にこの企業秩序の遵守義務を負うとしています。
マスク着用拒否に対する懲戒処分の有効性
使用者は、企業秩序に服すべく定めた規則や具体的な指示、命令に労働者が違反した場合には、企業秩序を乱すものとして、規則に定めるところに従い制裁として懲戒処分をすることができるとされています(最判昭54.10.30民集33巻6号647頁[国鉄札幌運転区事件])。
もっとも、懲戒処分は、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」は、懲戒権の濫用として無効になります(労働契約法15条)。
例えば、労働者がマスクを着用したいものの、マスクが品切れであるためやむを得ずに、これを着用することができないような場合には、労働者がマスクを着用できないこともやむを得ないものといえます。そのため、このような場合には、使用者が労働者に対してマスクを供給しており、労働者がマスクを着用することが可能であったなどの事情がない限り、懲戒処分は許されないでしょう。
また、例えば、労働者が皮膚疾患等のためマスクを着用できない場合があり、このような場合も、労働者がマスクを着用しないことはやむを得ないものといえます。そのため、このような場合にも、懲戒処分を行うことは許されないでしょう。