会社から通勤手当が支給されている方は多いですよね。通勤手当を支給されたもののバスや電車を使うお金がもったいなくて、つい節約したくなってしまう方もいるかもしれません。
しかし、実際には交通費がかかっていないのに、これを軽い気持ちで会社に請求してしまうと大きな問題となることがあります。
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一見、労働者の言い分も正しく見えるかもしれませんが、交通費の支給については会社ごとにルールがありますので、そのルールに違反してはなりません。
もっとも、労働者が交通費を不正に受給してしまった場合でも、直ちに解雇や懲戒処分が許されるわけではありません。
では、労働者は、交通費を不正に受給してしまった場合には、どのように行動するべきなのでしょうか。
労働者がこれに適切な対処をするためには、交通費の不正受給について正確な理解が必要となります。
今回は、通勤手当を不正受給すると解雇されるのかについて、基準となる金額や対処法を分かりやすく、詳細に解説していきます。
目次
通勤手当とは
通勤手当とは、家と会社の間の通勤にかかる費用に応じて支給される手当をいいます。
通勤手当は、法律上、会社に支払い義務が課されているものではありません。
しかし、就業規則や給与規程で、通勤手当について定めた場合には、その規定に従い、会社は、これを支給する義務を負うことになります。
実際に、通勤手当に関しては福利厚生の一環として就業規則上も支給すると定めている会社が多数です。
就業規則における通勤手当の規定でよくみられる例は以下のとおりです。
第〇条(通勤手当)
通勤手当は、月額〇〇円までの範囲内において、通勤に要する実費に相当する額を支給する。
通勤手当を不正受給した場合の3つのリスク
詐欺行為と言われる可能性
詐欺とは、人を欺いて、財物を交付させることをいいます。
刑法は、詐欺罪について以下のように規定しています。
刑法246条(詐欺)
1「人を欺いて財物を交付させたものは、10年以下の懲役に処する。」
通勤手当を不正に受給することは、実際には交通費がかかっていないにもかかわらず、これがかかっていると会社を欺く行為です。会社の全体的な財産が減少しているかどうかにかかわらず、会社が意思に反してその交通費を交付したこと自体が損害になると考えられています。
そのため、労働者が会社から交通費を不正に受給した場合には、詐欺行為だと言われるリスクがあります。
会社から懲戒される可能性がある
労働者が会社から交通費を不正に受給した場合には、会社から懲戒される可能性があります。
懲戒事由については、各会社が就業規則において、その種別と事由を定めています。
例えば、以下のような規定をおいている会社が多いでしょう。
第〇条(懲戒の事由)
1 労働者が次のいずれかに該当するときは、情状に応じ、けん責、減給又は出勤停
止とする。
①過失により会社に損害を与えたとき。
②素行不良で社内の秩序及び風紀を乱したとき。
③…
2 労働者が次のいずれかに該当するときは、懲戒解雇とする。ただし、平素の服務態度その他情状によっては、第〇条に定める普通解雇、第〇条に定める減給、出勤停止とすることがある。
①故意又は重大な過失により会社に重大な損害を与えたとき。
②会社内において刑法その他刑罰法規の各規定に違反する行為を行い、その犯罪事実が明らかとなったとき(当該行為が軽微な違反である場合を除く。)
③…
そのため、通勤手当を不正に受給した場合には、会社から懲戒されるリスクがあります。そして、その程度や態様によっては、後述のように懲戒解雇をされる可能性がありますので注意が必要です。
返還を求められる可能性がある
労働者が通勤手当を不正に受給した場合には、支給を受ける法律的な根拠がない手当の給付を受けたことになります。
このような場合のことを「不当利得」といい、民法は以下のような規定を定めています。
民法703条(不当利得の返還義務)
「法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。」
そのため、労働者が通勤手当を不正に受給した場合には、会社から不当利得として返還を求められる可能性があります。
また、労働者に故意過失がある場合には、不当利得ではなく、不法行為を根拠として、不正に受給した通勤手当相当額の損害の賠償を求められることがあります。
民法709条(不法行為による損害賠償)
「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」
通勤手当の不正受給は何故ばれるのか
他の従業員が報告する
通勤手当の不正受給がばれる理由として多いのが、他の従業員が上司や社長に報告することです。
頑張って徒歩や自転車で通勤して節約した費用を同僚に自慢したくなってしまう方もいるでしょう。
しかし、これを面白く思わない方もいるのです。
通勤しているところを目撃される
次に、通勤している現場を目撃されることが挙げられます。
会社に行くのですから、会社が近くなってくれば、他の従業員や上司の方と会うこともあるでしょう。
例えば、そのときに自転車に乗っていたり、本来の通勤経路とは全く異なる場所で会ったりすると、申請されている通勤経路と違うのではないかと疑われることになります。
会社による調査が行われる
また、他の従業員が通勤手当を不正に受給していることが発覚した場合などには、会社の目も厳しくなり、調査が行われることがあります。
例えば、届けられている住所が正しいかどうか、本当に定期券等を購入しているかどうか等を確認されることがあります。
通勤手当の不正受給にあたる3つの例
通勤手当の不正受給の例としては例えば以下のようなものが挙げられます。
通勤経路の変更を申請し忘れていた
会社に継続的に勤務していれば、引っ越しをすることもありますよね。
しかし、引っ越しはしたものの、通勤経路が変わったことを会社に申請し忘れてしまうことがあります。
そして、以前の住所のまま高額な通勤手当の支給を受け続けてしまった場合には、通勤手当の不正受給になってしまいます。
徒歩や自転車で交通費を節約していた
会社に電車やバスなどの交通機関を使用していると申請して交通費の支給を受けていたものの、実際には徒歩や自転車を用いることにより交通費を節約していた場合も、通勤手当の不正受給にあたります。
実際の住所とは異なる住所を申請していた
悪質性が高いものとして、より多くの交通費を受給するために故意に遠方の住所を申請している場合が挙げられます。
例えば、複数住居を有している方が遠方の住居のみを申請していたような場合にも、トラブルになることがあります。
複数住居があり日によって通勤経路が異なる場合には、その旨を会社に伝えておくことがトラブルの回避につながるでしょう。
通勤手当の不正受給を理由とする解雇は有効?
では、通勤手当の不正受給を理由とする解雇は有効なのでしょうか。
100万円を超える場合に有効とした例がある
裁判例には、通勤手当の不正受給の金額が
の事案において解雇を有効と認めた例があります。
これに対して、裁判例は、通勤手当の不正受給の金額が
の事案において解雇を無効とした例があります。
金額以外にも考慮される事情がある
通勤手当の不正受給を理由とする解雇の有効性は、悪質性、不正に受給した通勤手当の金額、期間等を考慮して判断します。
そのため、金額以外にも考慮される要素があることには注意が必要です。逆に言えば、不正に受給してしまった金額が高額であったとしても、それを真摯に反省し、適切な対応していれば解雇を争う余地があります。
例えば、会社から不正受給を指摘された場合には、不正受給を直ちにやめているか、調査に協力しているか、不正に受給した金額の返金に応じているか、不正受給は故意によるものかどうかなどが重要となります。
裁判例
東京地判平15.3.28労判850号48頁[アール企画事件]
遠方の虚偽の住所を申告し、約3年間にわたり計約102万円の通勤手当を詐取した事案において、刑法に該当する犯罪行為であって、即時解雇されてもやむを得ないと認められるほど重大・悪質な背任行為であるとしました。
東京地判平11.11.30[かどや製油事件]
約4年半にわたり計約230万円の通勤手当を詐取した事案において、勤務態度不良等の理由も併せて考慮し、懲戒解雇を有効としました。
東京地判平18.2.7[光輪モータース事件]
通勤手当につき実費支給としている会社において、通勤経路の変更を届け出ず、従前の通勤経路に基づき通勤手当を約4年半にわたり受領し続けた事案において、
時間および距離的には従前の通勤経路が最も合理的な通勤経路ということができ、本人の負担によってより時間のかかる経路を選択して交通費を節約しようとしたものであって、当初から過大請求しようとした詐欺的な場合と比べると、本件不正受給の動機自体は悪質ということはできず、差額は1カ月約6600円、合計約35万円と会社の経済的な損害は大きいとはいえず、従業員が直ちに金員を返還する準備をしていること等からすれば、懲戒解雇は重きにすぎ、懲戒権の濫用として無効としています。
東京地判平25.1.25[全国建設厚生年金基金事件]
会社に申請していた通勤経路を変更したものの、それを会社に届け出ずに、申請していた経路に係るものよりも安価な定期券を購入していた事案について、
①会社は、当該従業員の自宅から会社での通勤方法として従前申告された経路に記載された通勤方法及びこれに基づく所要額(定期代)を合理的なものと認定した上で同額の通勤手当を支給していたものであり、本件不正受給により当該従業員が受給してきた通勤手当額は、その範囲内に収まっていること、②その支給継続に当たって特段の審査がされることがなかったことなどからすれば、会社においては、本件不正受給当時、通勤のために真に合理的かつ必要な限度でのみ通勤手当を認めた上で、その支給の合理性の維持につきこれを厳守するという企業秩序が十分に形成されていたとは言い難いこと、③会社の主張を前提としても、本件不正受給による差額は、6か月当たり2万5330円、定期券購入時期につき平成21年4月から平成23年10月までととらえると合計15万1980円に過ぎないこと等から、諭旨退職処分は重きに失するとしました。
通勤手当の不正受給に時効はあるの?
では、通勤手当の不正受給をしてしまった場合には、時効はあるのでしょうか。これは問題となる場面により異なりますので、以下では類型ごとに分けて説明します。
詐欺罪の公訴時効は7年
詐欺罪の公訴時効は、犯罪行為終わった時から7年です。
刑事訴訟法250条2項(公訴時効期間)
「時効は人を死亡させた罪であって禁錮以上の刑に当たるもの以外の罪については、次に掲げる期間を経過することによって完成する。」
四「長期15年未満の懲役又は禁錮に当たる罪については7年」
懲戒に時効はない
会社の懲戒権に時効はありません。
しかし、通勤手当の不正受給から長期間が経過している場合には、懲戒権の濫用に該当するかを考慮する際の事情となります。
長期間経過していることのみをもって直ちに懲戒権の濫用となるわけではなく、長期の経過に至った理由や、その間に不正受給が問題とされることはあったのか、長期間の経過により企業秩序や事実関係の把握にどのような影響が生じているのか等を考慮し判断することになります。
裁判例には、労働者の行為から長期間経過していることを一事情として考慮して、懲戒解雇はその効力が生じないとしたものがあります(最判平18.10.6労判925号11頁[ネスレ日本事件])。
不当利得の時効は5年若しくは10年
不当利得返還請求の時効は、
又は
権利を行使することができる時から10年
とされています。
民法166条(債権等の消滅時効)
1「債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。」
一「債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき。」
二「権利を行使することができる時から10年間行使しないとき」
公務員が交通費を不正に受給してしまった場合は?
公務員の懲戒処分については、国家公務員に関するものですが、人事院が作成した「懲戒処分の指針について(平成12年3月31日職職-68)」が参考になります。
これによると公金の詐取行為については、以下のように規定されています。
2 公金官物取扱い関係
⑶ 詐取
人を欺いて公金又は官物を交付させた職員は、免職とする。
もっとも、軽微な事案についてまで、免職とすることは、裁量の逸脱濫用となる場合があるでしょう。
公務員がICカードを窃取し、そのチャージ金額を自己の用途に費消した事案について、懲戒処分の指針では「免職又は停職」とされていましたが、減給処分がなされたものがあります(東京地判平26.1.30労経速2205号18頁[東京都(警察官懲戒処分)事件])。
交通費が増額したことを申告し忘れていた場合
では、引越等により通勤に要する交通費が増加したことを申告し忘れていた場合、申告するまでの期間に多く支出した交通費を通勤手当として請求することができるのでしょうか。
これについては、就業規則等の規定に従い判断することになるでしょう。
就業規則によっては、住所・通勤経路の変更や通勤に要する交通費の変更を会社に申告するように義務づけたうえで、かかる「申告をするまでの間は、仮に通勤に要する交通費が増加していたとしても従前どおりの交通費相当額を通勤手当として支給する」としていることがあります。
通勤手当を不正受給してしまった場合の対処法
では、通勤手当を不正に受給してしまった場合には、どのように対応するのが適切なのでしょうか。
不正受給を直ぐにやめる
まず行うべきことは、不正受給を直ぐにやめることです。
労働者自身が交通費を不正に受給していることに気がついているのに、これを受給し続けることは、悪質性を基礎づける事情となります。
すぐに正確な通勤経路や通勤方法を会社に申請し直しましょう。
不正に受給した金額は会社に返す
また、会社から不正に受給した交通費の返還を求められることがあります。
交通費を受給することにつき法的な根拠がない場合には、これを返還するのは当然のことです。
会社から返還を求められた場合には、不正に受給した金額については、速やかに返還に応じましょう。但し、会社が返還を求めている金額が過大なこともあるので、その金額が本当に不正に受給した金額と整合しているのかについては確認するようにしましょう。
交通費を不正に受給したにもかかわらず頑なに返還に応じない場合には、これについても悪質性を基礎づける事情となります。
速やかに交通費を返還する資力がない場合には、その返還方法について会社に相談しましょう。返還に応じる姿勢を示すことが重要です。
反省の意思を示す
労働者としても、交通費を不正に受給してしまったことにつき、特に争う意思がない場合には、素直に反省の気持ちを示すことが大切です。
今後は、同様の行為をしないという改善の意思があることを示しましょう。
調査に応じる
交通費の不正受給が明らかになった場合には、会社は、その態様や金額を明らかにするために、労働者に対して聴取や資料の提出を求めるはずです。
このような調査には、労働者も素直に協力しましょう。
通勤手当の不正受給を理由に解雇されたら弁護士に相談するべき
万が一、交通費の不正受給を理由に会社を解雇されてしまった場合には、すぐに弁護士に相談しましょう。
解雇は、法的判断を含む問題ですし、解雇された後の会社とのやり取りは自己の主張と矛盾しないように慎重に進めていく必要があるためです。
また、会社も解雇に際しては顧問弁護士に相談していることが多いので、労働者も正確な法的アドバイスを受けた上で、対応していくことが必要となります。