未払残業代・給料請求

知っておきたい賃金全額払いの原則-賃金からの控除が許されない場合-

 賃金は、労働者の生活の糧になる重要なものです。そのため、使用者は、労働者に対して賃金を全額支払わなければならないとされており、賃金からの控除を制限されています。今回は、この賃金全額払いの原則を解説していきます。

賃金全額払いの原則

 賃金全額払いの原則とは、賃金はその全額を支払わなければならないとする原則です(労働基準法24条1項)。同原則の趣旨は、賃金が労働者の生活糧であるため、全額労働者の手に渡るようにする点にあります。

労働基準法24条1項
「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、…法令に別の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。」

賃金からの控除が許される場合

 賃金全額払いの原則からは、賃金から控除することは原則として許されません
 「控除」とは、履行期の到来している賃金債権の一部を差し引いて支払わないことをいいます。例えば、積立金、貯蓄金などの名目で賃金の一部の支払いを留保する場合などです。
 もっとも、例外的に、以下の場合には控除が許されます。

法令の定めによる場合

 「法令の定めによる場合」には、賃金の控除も賃金全額払いの原則に反しません。
 例えば、所得税の原徴収義務(所得税法183条)、社会保険料の源泉徴収義務(厚生年金保険法84条、健康保険法167条、労働保険の保険料の徴収等に関する法律32条)などの控除です。

労使協定がある場合

 「当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合」には、賃金の控除も賃金全額払いの原則に反しません。
 もっとも、労働契約上控除が適法かどうかは別問題であるため、適法とされるためには、就業規則若しくは労働協約に根拠規定を設けるか、労働者の合意が必要とされています。ただし、労使協定が労働協約の形式も満たしている場合には、その協定は労働協約の性質も兼ね備えることができます。

使用者の有する債権と賃金との相殺

相殺の原則禁止

 賃金全額払いの原則には、使用者の有する債権と賃金との相殺禁止の趣旨も含まれるのでしょうか。
 判例は、生活の基盤たる賃金を労働者に確実に受領させることが全額払原則の趣旨であるから、同原則は相殺禁止の趣旨をも包含するとしています。

【最二小判昭31.11.2民集10巻11号1413頁[関西精機事件]】
 使用者は、労働者の賃金債権に対しては、債務不履行に基づく損害賠償債権をもって相殺することは許されないとしました。

【最大判昭36.5.31民集15巻5号1482頁[日本勧業経済会事件]】
 不法行為に基づく損害賠償債権を自働債権として賃金債権を相殺することは許されないとしました。

前借金の相殺

 使用者は、「前借金その他労働することを条件とする前貸の債権」と賃金を相殺することはできないとされています(労働基準法17条)。
 すでになした労働についての給料の前払いは、弁済期の繰り上げに過ぎないので、「前借金その他労働することを条件とする前貸の債権」にあたりません。
 では、将来の労働についての給料の前払いはどうでしょうか。通説及び解釈例規(昭22・9・13発基17号、昭33・2・13基発90号)は、「前借金その他労働することを条件とする前貸の債権」とは、労働の強制ないしは身分的拘束の手段となるもののみを指し、使用者の友誼的な立場から行う金融はそれにあたらないとしています。
 なお、労働基準法17条は、罰則の強化および例外の不許容の点で全額払原則による相殺禁止一般原則の特則とされています。

調整的相殺

 使用者が過誤等により賃金を過払いした場合には、過払による不当利得返還請求権(民法703条)と賃金債権を相殺することはできるでしょうか。
 判例は、適正な賃金額を支払うための手段たる相殺は、その行使の時期、方法、金額等からみて労働者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば、全額払いの原則に反しないとします。そして、これを判断するに当たっては、➀過払のあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期においてされたか、➁あらかじめ労働者にそのことが予告されていたか、➂その額が多額にわたらないか等を考慮します。➂の「多額」かどうかの判断については、民事執行法152条が給与の4分の3に相当する部分は差し押さえてはならないとしていることが参考となります。

【最判昭44.12.18民集23巻12号2495頁[福島県教祖事件]】
 労働者が一定期間職場離脱していたため、使用者としては本来勤務しなかった期間の賃金を減額して支給すべきところ、減額せずに支払ってしまい、過払分を給与から減額(相殺)した事案について、以下のように判示しました。
 「賃金支払事務においては、一定期間の賃金がその期間の満了前に支払われることとされている場合には、…賃金の過払が生ずることのあることは避けがたいところであり、このような場合、これを精算ないし調整するため、後に支払われるべき賃金から控除できるとすることは、右のような賃金支払事務における実情に徴し合理的理由があるといいうるのみならず、労働者にとっても、このような控除をしても…実質的にみれば、本来支払われるべき賃金は、その全額の支払を受けた結果となるのである。」
 「このような事情と前記24条1項の法意とを併せ考えれば、適正な賃金額を支払うための手段たる相殺は、…その行使の時期、方法、金額等からみて労働者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば、同項の禁止するところではないと解するのが相当である。」
 「この見地からすれば、許されるべき相殺は、過払のあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期においてされ、また、あらかじめ労働者にそのことが予告されるとか、その額が多額にわたらないとか、要は労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのない場合でなければならないものと解せられる。」

合意による相殺

 使用者と労働者が合意することにより、使用者の有する債権と賃金を相殺することはできるでしょうか。
 判例は、労働者がその自由な意思に基づき相殺に同意した場合には、同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、賃金全額払いの原則に反しないとしています。
 もっとも、同意が労働者の自由な意思に基づくものであるかは、厳格かつ慎重に行わなければならないとされています。具体的には、➀相殺の合意の成立経緯・貸付金の返済の方法に関する労働者の認識および➁使用者の自働債権の性質(労働者に利益をもたらすものか否か)等を考慮し判断します。

【最判平2.11.26民集44巻8号1085頁[日新製鋼事件]】
 労働者が交際費等の出費にあてるために借財を重ね、破産申立てをするほかなくなったため、会社を退職することを決意し、会社に借入金の残債務を退職金等で返済する手続きをとってくれるように依頼しました。会社は、退職願いを受理するとともに、労働者に「今般市議退職に伴い会社債務(住宅融資ローン残高)及び労働金庫債務の弁済の為、退職金、給与等の自己債権一切を会社に一任することに異存はありません。」との文面の委任状を提出させました。会社は、退職金から、労働者の借入金を控除し(相殺)、金融機関に振り込む等の精算処理を行いました。この借入金の控除(相殺)の有効性が争われた事案について、判例は以下のように判示しています。
 「労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁参照)。もっとも、右全額払の原則の趣旨にかんがみると、右同意が労働者の自由な意思に基づくものであると認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならないことはいうまでもないところである。」

賃金債権の放棄

 では、労働者が賃金債権を放棄する意思を表示した場合は、使用者はこの賃金を支給しないことはできるでしょうか。
 判例は、労働者が賃金債権を放棄した場合には、使用者が放棄された賃金を支払わないことも賃金全額払いの原則に反しないとしています。もっとも、賃金全額払いの原則の趣旨からは、賃金債権の放棄の意思表示は、労働者の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないとされています。自由な意思の認定にあたっては、労働者の従属性、放棄によって得られる対価、労働者の生活保障の観点が重要とされています。

【最判昭48.1.19民集27巻1号27頁[シンガー・ソーイング・メシーン事件]】
 労働者は、勤務していた会社との雇用契約を合意解約して、退職し、退職の際に、「いかなる性質の請求権を有しないことを確認する」旨の英文で記載されている書面に署名して差し入れました。会社は、この書面により労働者が退職金を放棄したものとして、退職金を支給しなかったため、賃金債権の放棄の有効性が問題となりました。これにつき、判例は、以下のように判示しています。
 「労働者…が退職に際しみずから賃金に該当する本件退職金債権を放棄する旨の意思表を表示した場合に、右全額払の原則が右意思表示の効力を否定する趣旨のものであるとまで解することはできない。」
 「もっとも、右全額払の原則の趣旨とするところなどに鑑みれば、右意思表示の効力を肯定するには、それが…自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないものと解すべきである」。

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弁護士 籾山善臣
神奈川県弁護士会所属。不当解雇や残業代請求、退職勧奨対応等の労働問題、離婚・男女問題、企業法務など数多く担当している。労働問題に関する問い合わせは月間100件以上あり(令和3年10月現在)。誰でも気軽に相談できる敷居の低い弁護士を目指し、依頼者に寄り添った、クライアントファーストな弁護活動を心掛けている。持ち前のフットワークの軽さにより、スピーディーな対応が可能。 【著書】長時間残業・不当解雇・パワハラに立ち向かう!ブラック企業に負けない3つの方法 【連載】幻冬舎ゴールドオンライン:不当解雇、残業未払い、労働災害…弁護士が教える「身近な法律」、ちょこ弁|ちょこっと弁護士Q&A他 【取材実績】東京新聞2022年6月5日朝刊、毎日新聞 2023年8月1日朝刊、週刊女性2024年9月10日号、区民ニュース2023年8月21日
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