残業代請求には時効があります。そのため、会社が残業代の支払いをしていなかった場合でも、労働者の残業代請求権は刻一刻と消滅しています。
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このように残業代は早く請求しなければ、会社から支払いを拒まれてしまいます。
それでは、残業代請求権はどのくらいの期間が経てば時効になるのでしょうか。これについては、昨今改正があったところです。
また、より多くの残業代を請求するためには、時効の中断・猶予をどのよにすればいいのかを理解しておくこと重要です。
今回は、このような時効期間の改正や時効を中断・猶予する方法について、分かりやすく簡単に説明していきます。



目次
残業代の時効とは
残業代の時効とは、労働者が一定期間残業代を請求しなかったような場合に、会社の意思表示により、その請求権が消滅してしまうことをいいます。
このような時効制度の趣旨は、これまで続いてきた事実状態を尊重し、これを正当なものと認める点にあります。また、長期間が経過した場合には、証拠なども少なくなってきてしまいます。
残業代の請求権が時効により消滅してしまった場合には、原則として訴訟などにおいて消滅した部分の請求はできないことになりますし、交渉においても会社は消滅した部分の支払いには応じないでしょう。
時効の起算点は給料日
時効の期間を知る前に、まず、どの日から時効を数え始めるのかを押さえておく必要があります。
時効の起算点は、請求権を行使することができる時ですので、残業代の場合は、給料日が時効の起算点となります。
そのため、残業代の時効は、給料日の翌日から数え始めます。
2020年3月末日までが支払日の残業代の時効は2年
これまで、労働基準法では、賃金請求権(退職手当を除く)の時効は、2年とされていました(旧労働基準法115条)。
そのため、改正後の労働基準法115条が適用されるのは2020年4月1日以降が支払日の残業代ですので、2020年3月31日までが支払日の残業代の時効は2年となります。
2020年4月1日以降が支払日の残業代の時効は3年

時効期間が3年となったこと
改正後の労働基準法115条では、「賃金の請求権はこれを行使することができる時から5年間…行わない場合においては、時効によつて消滅する」と規定されています。ただし、当分の間は、労働基準法115条の適用については、この「5年間」というのは、「3年間」と読み替えられることになります。
そして、改正後の労働基準法115条が適用されるのは2020年4月1日以降が支払日の残業代です。
従って、2020年4月1日以降が支払日の残業代については、当分の間、時効期間は3年となります。
2年を超えて残業代を請求できるのは2022年4月1日以降
先ほど、説明したように時効期間が3年間とされるのは、2020年4月1日以降が支払日とされる残業代です。
従って、実際に、労働者が2年を超える残業代を請求できるようになるのは、2022年4月1日以降です。
具体例
それでは、実際にどの部分が時効により消滅しているかを確認してみましょう。
以下の事例では、毎月末日締め、給料の支払い日は翌月20日とします。例えば、4月分の給料は、翌月の5月20日に支払われることになります。
⑴ 2020年8月25日に請求する場合
例えば、2020年8月25日に請求する場合には、2018年7月分の残業代の支払い日は2018年8月20日ですから、既に2年が経過してしまっています。そのため、2018年7月分以前の残業代を請求することはできません。
したがって、残業代を請求することができるのは、2018年8月分から2020年7月分までの24カ月分になります。
⑵ 2022年8月25日に請求する場合
例えば、2022年8月25日に請求する場合には、2020年2月分の残業代の支払い日は2020年3月20日ですから時効期間は2年です。そして、請求日時点において、既に2年が経過してしまっています。そのため、2020年2月分以前の残業代を請求することはできません。
これに対して、2020年3月分の残業代の支払い日は、2020年4月20日ですから時効期間は3年であり、2020年3月分から2022年7月分については、未だ3年が経過していませんので時効が完成していないことになります。
したがって、残業代を請求することができるのは、2020年3月分から2022年7月分までの29カ月分になります。
⑶ 2023年8月25日に請求する場合
例えば、2023年8月25日に請求する場合には、2020年7月分の残業代の支払い日は2020年8月20日ですから時効期間は3年ですが、既に3年が経過してしまっています。そのため、2020年7月分以前の残業代を請求することはできません。
したがって、残業代を請求することができるのは、2020年8月分から2023年7月分までの36カ月分になります。
今後の残業代の時効は5年になる可能性も
先ほど見ましたように、「当分の間」は、残業代の消滅時効の期間の適用については、「5年間」とあるのは「3年間」と読み替えられています。
「当分の間」というのがいつまでを指すのかは明らかではありませんが、令和2年改正法の施行後5年を経過した場合に、「改正後の規定について、その施行後の状況を勘案しつつ検討加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」とされています。
そのため、施行後5年を経過した後(2025年4月1日以後)に、施行後の状況によっては、残業代の時効期間が「5年」となる可能性があります。

改正後民法の時効期間との違い
民法改正により、民法上の短期消滅時効は消滅しました。これにより、2020年4月1日の改正法の施行日以降、民法上の債権等の消滅時効は「債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき」又は「権利を行使することができる時から10年間行使しないとき」となりました(民法166条)。
これに対して、労働基準法上、残業代の消滅時効期間は、改正後は、当分の間3年間とされています。
したがって、労働基準法は、残業代の時効期間を民法が定めたている債権一般の5年間よりも短くする特則を定めているということになります。
残業代の時効中断・完成猶予のためにすべきこと【記載例付き】
それでは、時効の期間が分かったところで、請求すると決めた場合に、この時効をどのように止めていくのかについて説明します。
催告をすべき
残業代の時効中断・完成猶予のためには、まず「催告」をすることになります。
「催告」とは、債務者に対し履行を求める債権者の意思の通知をいいます。
通常は、訴訟提起に先立ち、内容証明郵便等で残業代の支払いを請求しますので、この内容証明郵便が「催告」に該当することになります。
「催告」をした場合、時効が完成するまで6カ月の猶予期間ができることになります。
そのため、この期間内に証拠を収集し、正確な未払賃金を算定することになります。そして、6カ月以内に交渉を成立させるか、労働審判の申し立て・訴訟の提起を行うことになります。
内容証明郵便等により2年分の残業代の支払いを「催告」する場合、以下のように記載されることが多いです。
【記載例】
催告をする際の注意点
「催告」に当たるか否かは、履行を請求する意思の通知と認め得るかどうかの解釈問題です。「催告」は、後日更に明瞭な中断・完成猶予の生ずることを要件としているため、債権の内容を詳細に述べて請求する必要はなく、どの債権かが分かる程度の指示があればよいと解されています。
内容証明郵便の記載が「催告」に該当するかどうか問題となる場面として、以下のような場合があります。
①金額の記載がない場合
金額の記載がなくとも、「2年間」との記載や「すべて」との記載から、この程度の特定をもってしても、債務者においてどの債権を請求する趣旨か理解可能であるため、「催告」としての効力を認めてよいと考えられます。
②残業代の調査を理由にタイムカードの開示を求めた場合
残業代の支払を請求する旨の文言は明示されていないものの、開示されたタイムカードを精査した結果、残業代を含む未払賃金が残存していることが判明すればこれを請求する趣旨と解することも可能です。そのため、具体的事情の下で、「催告」に当たるとみる余地もあるとされています。
③「令和●年●月から令和●年●月まで」と期間を特定して残業代の支払を請求した場合
期間を特定して「催告」をした場合に、当該特定期間外の残業代との関係でも「催告」の効果は認められるでしょうか。
賃金については、一つの雇用契約から発生するものですが、個別の労務提供に基づき具体的な債権が発生するものです。そのため、それぞれ別個の債権とも評価できるものであり、当該特定期間外の割増賃金との関係で「催告」に該当すると評価するのは難しいと考えられます。もっとも、具体的事情によっては当該特定期間外の割増賃金との関係で「催告」に該当すると評価できる場合もあるとされます。
再度の催告は効力が否定されることがある
上記のとおり催告をした場合には、6カ月が時効の完成が猶予されることになります。
もっとも、この時効の完成が猶予されている6カ月の間に再度催告を行った場合、この再度の催告をどのように取り扱うのでしょうか。
これについて、民法は「催告によって時効の完成が猶予されている間にされた再度の催告は、前項の規定による時効の完成猶予の効力を有しない」(民法150条2項)としています。
そのため、労働者がどの時点で催告を行ったのかということが争いとならないように、催告をする場合には書面で残る方法により行うことが重要です。
残業代請求の妨害と不法行為
会社が労働時間を把握する手段や残業代の請求が円滑に行われる制度を整備していなかった場合には、不法行為に基づく損害賠償請求として、既に2年の時効が完成してしまっている部分も含めて、3年分の残業代相当額の請求が認められる場合があります。
裁判例は、会社が、時間外労働を黙認していたにもかかわらず、出退勤時刻を把握する手段を整備して時間外勤務の有無を現場管理者が確認できるようにするとともに、時間外勤務がある場合には、その請求が円滑に行われるような制度を整えることをしなかった事案において、未払時間外勤務手当相当分につき不法行為を原因として会社に請求することができるとしています(広島高判平19.9.4労判952号33頁[杉本商事事件])。
時効完成後も残業代を請求できる場合がある
会社が残業代の請求を妨害しているような場合には、会社が時効を援用することが権利濫用として許されないことがあります。
裁判例は、使用者がタイムカードの記載を改ざん等した事案で、時効の援用が権利の濫用に当たるとしています(金沢地小松支判平26.3.7労判1094号32頁[北日本電子ほか事件])。
資料の保管期間や付加金の請求期間
残業代の時効期間の延長にあわせて、賃金台帳等の重要な書類の保管期間も「3年間」から「5年間」に延長されることになります。
また、付加金の請求期間についても「2年間」から「5年間」に延長されることになります。
ただし、これについても、附則により、当分の間は、従前どおり「5年間」とあるのは、「3年間」と読み替えて適用されます。
